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近況報告

学生時代、「書くことはないがとりあえず日記を書く」と断りを入れて日記を書いていたのを思い出した。社会人となった今でもなお「書くことはない」ものの、なんとなく日記を書こう。自分のことを成長しない人間であると認識しているが、この日記はその証左となる。  まずは近況報告である。  近況報告とはいっても、私が転職した、などということはマイミク(今はそうは言わないらしい)の皆様は既に御承知のとおりである。  本年3月1日付で彼女に振られたことはもしかしたら周知されていないかもしれない。誤解を招くかもしれないがストレートに表現すると、別れ話を切り出された際、自分の人間的魅力の低下(及びそれを向上させようとする意志が存しないこと)を強く認識したため、彼女に甘えていた自分を反省し成長しようと思い、別れ話を甘んじて受け入れたというものであった。  このため、不意に婚活市場に参入せざるを得ない形になったが、正直気分が乗らない。自分自身が市場で競争力のある商品であるとも思えないし、とりあえずは流れに身を任せている段階である。そもそも、そんな悠長に構えているべき段階でもないのであろうが。  特に市場価値を高めようと思っているわけでもないが、最近の休日はハンドボールをするほか、本を読むことにしている。  本のジャンルは高校時代からなにも変わっていない。基本的に若者のコミュニケーションとか心理とかそのあたりに関する本である。若者のコミュニケーションについての本は読むけど実際のコミュ力が低く、心理を読み切れていないあたりは、さすが頭でっかちの役人である。まさに今は天職に就いているといえよう。  私の近況報告は以上である。  他には特に書くこともないため、日記と呼べるようなものは以上に留めるが、以下に今日読んだ本について、備忘録として簡単かつ適当に記す。偏見や読解力不足による認識の誤りが大いに含まれている。また、個人的にピンときたフレーズを羅列しただけである。  『承認をめぐる病』斎藤環2013年12月 ①思春期解剖学 ・思春期事例の治療相談(精神診療)においては「キャラ」の理解が必要。「キャラ」は必ずしも本人の性格と一致するわけではないが、クラス内コミュニケーションを通じて自然発生的にキャラの棲み分けが行われる。キャラの変更は難しい。 ・キャラの分化の要因は「序列化」である。序列化は「コミュ力(場の空気が読めて笑いをとる能力)」によって「スクールカースト」が形成される形で行われる。 ・キャラはコミュニケーションを円滑にする一方、キャラを逸脱した行動を常に抑制するという副作用を持つ。 ・思春期にカースト下位に所属するキャラとなった生徒は、その後成功体験を重ねても、ある種の負け組意識を植え付けられがち。 ・多くの子供にとって、キャラとして承認され、教室空間内に居場所ができるのが最も重要。 ・承認欲求自体は普遍的だが、極端に言えば最近では「衣食住よりも承認」という逆転の傾向が見られる。 ・ここでいう承認とは、キャラとしての承認。キャラとしての承認とは、承認の根拠を全面的に他者とのコミュニケーションに依存すること。客観的な基準のもとで自分で自分を承認することができなくなった。 ・こうして不安定となった自分の承認をめぐる病理は3パターンに帰結。「承認への葛藤」(碇シンジ)、「承認への過剰適応」(アスカ)、「承認への無関心」(綾波)。 ・「大人」は食うために働いていたが、若者は承認欲求のために働く(社会参加の手段)。このため、若者を就労へと動機づけたいのであれば、関係欲求に至るまでの欲求を十分に満たす必要がある。 ・別の言い方をすれば、若者は「生存の不安」ではなく「実存の不安」を感じている。「自分は何者か」「自分の人生に意味があるのか」という不安は、70sまでは宗教、90sは心理学、00sはコミュニケーション偏重主義。若者言葉に「コミュ障」「KY」など、コミュニケーションに関するものが多数あることがその証拠ではないか(54P) 眠いので以降は次回があれば次回に書く。 おやすみんと。 このぶつ切りな感じも懐かしいですね。本一冊まとめるとか数時間かかるから仕方ないね。
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